写真/gettyimages
0時が近づくにつれて、街の人々は「終電」が気になりだす。
帰ろうか、残ろうか。時計を見ながら正解を考える。甘酸っぱい思い出も、切なく悲しいできごとも、思えば全部「終電」がきっかけだった。
そんな、誰もがひとつは持っている終電にまつわる物語「#終電と私」を集めてみました。
彼女が悲しみに襲われてその場にうずくまってしまうとき、僕はいつもそばでおろおろと見守るほかなかった。
その悲しみの正体が僕にはわからず、ただ彼女の立ち上がる気力を奪うには十分な大きさであることだけがたしかだった。
彼女と付き合っていた3年余の間、僕がその場をうまく収拾できたことなんてただの一度もない。
そうなるきっかけさえもついにわからなかった。
ちょっとした行き違いや、言葉の端の棘や、あるいは態度、顔つき、目つき…そういったものがいつも、コップの縁のような足場に危うく立つ彼女の背中を押しているようだった。
わかったとしてもそれくらいだ。
わかったところで、どうすることもできなかった。
***
渋谷駅や、品川駅や、横浜駅の構内。
うずくまる彼女のそばでなすすべなく僕は立ったり座ったりした。ときには何時間もそのままで、終電を逃すこともあった。
終電という手段を失った僕たちは糸の切れた凧のようなものだった。
駅員が事情を聞きにくる前になんとか彼女をなだめすかして手を引き、駅を出る。
抜け殻のようになった彼女と夜の街を彷徨する。
いつも、その夜に終わりはないように思えた。
タクシーで帰ろうとか、どこかで夜を明かそうとかいう提案は少しも芯を捉えていなかった。
ただ繁華街のゴミとして夜の底を転がることだけが、彼女の苦痛をいくらかは紛らわせるようだったのだ。そうして僕たちはいくつもの夜を這いずり回った。
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ホームまでたどり着いて、終電を目の前にしてもなお乗れず見送ったこともある。
電車がきて、扉が開いても、彼女の足はどうしてもそこから動かなかった。僕の肩に顔を押し付けて、歯を食いしばるように泣いていた。
ベルが鳴って終電の扉が閉まる。
明るい車内に何人かの、行き先や帰る場所のある人たちが乗り込んで、滑るように僕たちから離れていった。
***
ふたりして夜の海に放り出されたような日々だった。
もがくほど息は苦しくなって、方向もわからなくなり、僕と彼女が噛み合わない肉体、通い合わない心を持っていることを毎日嫌というほど実感させられた。
それでも思い出すのは、彼女の安らかな寝顔や、こちらを見て笑う姿や、手をつないで歩いた夕暮れの港の風景だ。
悲しい記憶も数え切れないほどあるけど、思い出は悲しいままでいることを拒む。
いまでも、彼女とよく訪れた街や駅を歩いていると、そこに置いてきた愛情や純真がまだどこかに残っているような気がする。どこかで息を潜めて、(僕ではなく)彼女が迎えにくるのを待っているような気がする。
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いまの僕が終電に乗るのは、決まって飲みすぎたときだ。
飲みすぎたときは大抵楽しく飲んでいる。
ふらつく体と締まらない顔に喜色を浮かべながら、這々の体で電車に乗り込む。帰る場所があるのだ。迷わずに乗る。
乗り込んだ電車の窓からは、終電を見送るホームが見える。何人かの人が、もう電車のこないホームに残っている。
そのなかに僕は、あの日々に泣き暮れた彼女と、なすすべなく立ち尽くす自身の幻を見る。
駅は遠ざかり、電車はいくつもの夜の街を置き去りにして走っていく。
帰る家へと向かうその電車のなかで、僕は酔いに意識を委ねて目を閉じる。
小舟に揺られるようなまどろみに包まれて、しあわせな記憶をとりとめもなく辿る。
あの日見送った終電に乗って。
すなば
シティを好むライター。
Twitter:@comebackmypoem
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