マイノリティ──。
「社会的少数派」の意。「社会的弱者」として言い換えられることもある。
当連載では、自身もマイノリティの立場であるライター・おつねが、マイノリティを描く映画を通して、見解を語っていきます。
『この世界の片隅に』(2016年公開)
昭和19年の広島。18歳の浦野すず(のん)は、顔も見たことのない若者から求婚を受け、生まれ育った江波から離れた呉へと嫁ぐこととなる。
絵を描くことが大好きで、世界を美しく見ることが得意だった彼女は、一転して現実的に物事を見ることが求められる主婦に。
夫となった北條周作(細谷佳正)、そしてその家族と、望郷の思いを抱えながらも今の生活を受け入れ、楽しく生活していくすず。
しかし、やがて戦争は激化。日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、美しい町並みはあっという間に瓦礫に変わっていく…
私が通っている大学で教壇に立たれている片渕さんが監督を務める本作。
ちょうど公開された時期がアニメ映画ブームだったり、私自身出身が長崎だったりで、見て見ぬふりできる映画じゃなかったけど、なんとなくひとりで見に行く勇気はなくて友人を誘って観に行った。
生きていると必ず悲しいことや困難がおそってくる
よく戦争を題材にした映画を観ていて抱く感想は「いまは食べものに困らないのだから感謝しなくちゃな」とか「こんなにまわりの人が死んでしまうなんて、いまの時代で本当によかった」とか、そういうものが多い気がする。
もちろんその通りで、いまは幸福で昔は不幸なのかもしれない。
でもこの感想の根元には、戦争をなかったものとして考えてしまう精神があるというか、自分とはまったく関係のないところで起きたできごととして捉えているんじゃないかなって、どこか違和感を感じていた。
この映画で、戦争や時代に対して疑問や不満を持ちながらも、毎日ごはんを食べて、泣いたり笑ったりしながら生きているすずさんを見て私は、失礼かもしれないけれど「いまも昔も変わらないな」って強く思った。
それと同時に「普通」に生きていくことって、すごく難しいことなんだなと改めて実感した。
普通にごはんを食べて、笑って、毎日暮らしていきたいのに、戦争によってごはんもあまり支給されなくて、大切な人を失って、それでも生きている。
これは現代でも同じで、毎日食べて、笑って生きたいのに、生きていると必ず悲しいことや困難がおそってくる。
それが分かりやすく見えるのが、この映画なんじゃないのかなって思った。
この世界で「普通」に生きていくために
この映画で、すずさんが感情を爆発させる数少ないシーンのひとつに晴美ちゃんの死がある。
兄や両親が死んだという知らせを聞いても、悲壮感を漂わせることがなかったすずさんが、突如として負の感情に囚われてしまうのである。
すずさんが落ち込む姿を見るのは私たちにとっては初めてだったけど、物語の裏側ではこのような深い悲しみが何回もあったのではないか…。そう思ったときにハッとさせられた。
そんなふうに負の感情をなるべく表に出さないようにしていたのは、きっと「普通」に生きようとしているからこそであり、深い悲しみを「普通」に生きるために受け入れているのが、この映画に出てくる人たちなのかなと思った。
現代でも、毎日多くの人が亡くなっているし、その亡くなった人の数だけ悲しい思いをしている人がいる。
でも、みんな「普通」に生きていくために、時間をかけてその悲しみを受け入れていくのだと思う。
つい先日、私の友人のセクシャルマイノリティの友人がこの世を去った。
私はこれまでの生活でこんなにつらくて悲しいことを経験したことがなくて、ずっとずっとどん底にいたけど、この映画を思い出して前を向いてみようと強く思った。
亡くなった彼の分までこの世界で「普通」に生きていくために、くじけそうになったときはすずさんに勇気と元気をもらいながらがんばっていこうと思う。
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